サイコロ × 神様
あけましておめでとうございます。今年初めてのmocoブログ更新ですが、もう1月も終盤なんですね…。はやい。卒業まで二か月ということに気付き、かといって毎日が変わるわけでもなく、なんとなくそわそわしたまま毎日が過ぎていきます。
この、卒業前の切ないような気持ちって、私はわりと「愛しさと切なさ」だと思ってるんですけど、それを言ったら絶対笑われてしまいますね哀しい。ロン○ンハーツのせいだ。何かに例えられた瞬間、それはどんなに良いものでも笑い話になってしまうって「夢をかなえるゾウ」の水野さんが言っていました。どんなに良い言葉でも狩野エイコウの顔が出てきたらもうそれだけで「良い言葉」ではなくなってしまう。笑っちゃいますよね…。
それでもやっぱり、残りの生活を愛しさたっぷりに過ごしていきたいなと思う今日この頃です。
さてさて、今日のお題は「サイコロ×神様」っていうなんともリンクした二つの言葉。
それではさっそく本題へ…!!
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サイコロ × 神様
サイコロを投げて、「神様!」とお願いする瞬間。
・すごろくでゴールまでのマス目が2の時。「2を出して!神様!」
・人生ゲームで2が出たら持ち金をすべて取られてしまう時。「2を出さないで!神様!」
・大小(賭け事)で相手が2を出した時。「2以上の数字を出して!神様!」
・滑らない話で、自分が三回連続で話した時。「もうこれ以上ネタがない!神様!」
偶然とは未知なるもの。いつ「それ」がやってくるのか分からないし、そもそも「それ」がなんなのかも今の私たちには分からない。分からないものに対して人は無意識になりがちです。だから「出会い」という面における偶然には神様ってあまり登場しない気がします。たとえば、普通に毎日を生きていて、「今日運命の人に出会えますように!神様!」とはお願いしないような気がする。
でも、サイコロのような偶然にはしばしば神様は登場する。これは、必ず「吉か凶か」という答えが自分の中にあるから。上の例でも自分にとって「利か不利か」によって神様が登場している。
でも、強く神様の存在を感じるのは前者ではないのかな、とわたしは思うのです。
すごく自分にとって運命的な出会いがあった時とか、私は「ああ神様っているのかな、すごいな、奇跡だな」と感じてしまうし、その時自分に舞い降りてる神様って長い間自分の中に存在しているような気がするんですよね。
つまり何が言いたいかというと、サイコロなど「答えが決まっているもの」に対して降臨させる神様は、結局自分の利益のためだけに降臨させる神様なので、あまり好きになれないなーということ。
それでもやっぱり無意識にサイコロを振るとき、神頼みをしちゃう自分もいるんだろうなーって思うあかしなのでありました。
久しぶりに人生ゲームがしたい。
それではまた来週!!!!!どろん