小麦粉×主人公
みなさまこんばんは。
心なしかお久しぶりですね、心なしか。
いえ心当たりありまくるんですけどね、すみませんやん…。
さて今日のお題は
小麦粉×主人公
です。
この前からチラホラ出ているキーワード、「作用点」「加速」と共に実はmocoの各号テーマシリーズなんですよね~~へへへへ。
身内ネタですが私が放り込みました。
そして今回キーワードの片棒を担ぐ「主人公」は16号のテーマでした。
どどーん!懐かしい!
この表紙、僭越ながら私が制作担当をさせていただきました。
いい機会なので時効だし制作裏話でも。(そんな裏というほど大したものではない)
もちろん表紙も私たちが撮影したのですが、このロケ場所がどこかわかりますでしょうか?
関西の人ならピンとくるかな?と思うのですが、阪急梅田駅の東側です。
ヘップとか阪急メンズ館とかあるあの辺な!
最初にこの表紙を作るイメージとしては、「人ごみの中で立ち尽くす若人」というものがありました。
実際に素材をそろえる前は適当に拾ってきた画像で完成イメージ図を作るのですが、その際使っていた仮背景が東京のスクランブル交差点だったんですよ。
しかしあのレベルの人ごみを関西で再現できるのか?ということに頭を悩ませました。
まず京都では無理。じゃあ大阪?
というわけでメンバーに意見をもらいながら大阪でごちゃっていそうな場所を見つけることに成功しました。
成功とは言っても、当初イメージしていた東京のスクランブル交差点とはまた違ったものになったのですが、それはそれでおもしろい仕上がりになったので個人的には気に入っています。
さてこの表紙、よく見ると全面に英字が書かれていることに気がつくでしょうか?
見えにくいように加工をかけているんですが、実は以下のような文章が入っているのです。
I thought what
I'd do was,
I'd pretend
I was one of those
deaf-mutes.
or should I ?
(ちなみにこれは私が勝手に入れて、特に報告はしなかったのでメンバーでも知ってる人は少ないかも)
意味は「僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えた。でもならざるべきか?」です。
いやだから何なんだよという感じなんですが、これは当時私がハマっていた(そして今でも好きな)アニメ「攻殻機動隊SAC」に出てくる言葉であり、さらに元をたどるとJ.Dサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に登場する台詞でございます。
全力で趣味に走りました。懺悔。
じゃあ結局どういう意味なの?というのをざっくり解説するならば、世間や大人の世界のインチキさ加減にうんざりした僕(=ライ麦畑で言うところのホールデン、攻殻で言うところのアオイ)はそうしたインチキに対して声を上げるのを諦めて、見えない聞かないの姿勢で閉じこもってしまいたい、というものです。
しかし最後の「should I ?」=「ならざるべきか?」は攻殻機動隊のオリジナルです。
アオイには迷いがあるのですね。
まー正直に言ってしまえば「主人公」というテーマそのものにはそんなに関係ないです、この言葉は(笑)
ただ迷える若者の情緒、青臭さという点では共通するものがあるかなと言い訳をしながらひょいっといれました。要するにただの趣味です。
私はこの表紙を制作していたころ(ちょうど一年くらい前ですかね)、まだ「攻殻機動隊」にしか手を染めていなかったのですが、その後まんまと元ネタの「ライ麦畑でつかまえて」にままでどっぷりといってしまったクチです。
「ライ麦畑でつかまえて」は有名な本ですし、タイトルだけでも耳にしたことがある人も多いんじゃないでしょうか。
どんな話かと言いますと、成績不良で学校を追い出された主人公ホールデン・コールフィールドが世の中のありとあらゆるものにケチをつけながら家に帰るまでNYを放浪する物語です。本当に雑に説明してますよ。
私はこの作品にけっこう心をつかまれたのですが、しかしかといってホールデンに全面同意できるわけではありません。
むしろ目にするもの耳にするもの全てに悪態をつき、インチキ呼ばわりするホールデンにイラつきさえしました。大人になれよと。
ではどういった点に心惹かれたのか。
うーん、未だに文章にきちんと落とし込める自信はないのですが、要はその心の優しさと、優しさゆえの弱さと、単に優しいだけじゃなくどうしようもない自意識とか劣等感を持っている点でしょうか。
例えばホールデンは生意気にも放浪中に売春婦を買うのですが、やってきたまだ19歳の売春婦が来ている綺麗なグリーンのドレスを見て悲しくなってしまいます。
この娘がグリーンのドレスを買う時にどういう気持ちで買ったのだろうとか、店の人は何の気なしに売ったんだろうなまさか売春の衣装の為に買ったとは思わないよなとか一人で勝手に考えてしまうのです。
勝手に悲しくなって、同情して、それでどうしたらいいのか分からずに優しくしようと「今日はそういう気分じゃないからお話しないかい?」と売春婦に持ちかけるものの、用が無いなら帰るし金は払えよという感じでなんやかんやぼったくられてしまう。
グリーンのドレスを見て勝手に悲しくなるのは、どうやらこの世界では普通ではないらしい、それがホールデンにとっては異常な世界で絶望しかないと思わせることになるのです。
あるいは、ホールデンは小学校に「fuck」と落書きされているのをみてどうしようもなく哀しくなります。
きっとそこら辺の酔っ払いが何の気なしに書いたであろう落書き、これを見た子供たちが意味を知ってしまって、そのことにやきもきしたりおかしな感じになってしまうことに怒りを覚えるものの、自分にはそれを消す勇気もない。
消しているところを誰かに見られて自分が書いたと思われてもいやだし、どうせこれを消したところでどうしようもないくらい世の中にはfuckと書かれているであろうこと、なんだかすべてを考えて嫌になってしまうのです、彼は。
なんというか、そういうところに堪らなく心惹かれるのですよ。
あとは文学的な読解のしがいがありそうな点もすごく魅力的です。
例えばホールデンは四人兄弟で、兄はハリウッド作家、大好きな弟は昔に死んでしまって、同じく大好きな小学生の妹は元気。
この死んでしまった大好きな弟っていうのは、けして成長することのないイノセントなものの象徴なんだろうなーとか、だから永遠に大好きなんだろうなーとかね。
ちなみに「ライ麦畑でつかまえて」の原題は「the catcher in the rye」です。
これはホールデンの「僕はライ麦畑で夢中で遊んでいる子供たちが崖から落ちそうになるのをキャッチするような、そんなものになりたい」という台詞からきています。
この作品の主題ですね。
イノセントなものへの憧憬と愛護、それ故の現実へのジレンマと嫌悪。
ものすごくざっくりですが、moco16号から無理やりライ麦畑の話に持ってきました。
一度きちんと感想とか考察を文章に落としこみたかったんですよ。
きちんとではないけど、でも好き勝手にかけて楽しかったです。
ちなみに、小麦要素は?
ほらあれ、ライ麦…小麦の仲間じゃないですか。ね。
ほら、小麦粉畑でつかまえて的な…(笑うとこですよ、ここ)
「小麦粉畑でつかまえて」にしたらなんか蟹工船っぽい感じがするのは私だけでしょうか。
ーー時は16世紀イギリス、産業革命により人々はより豊かな生活へと踏み出したかのようにみえた。
しかし技術に人が酷使される時代の幕開けでもあったのだ。
小麦粉工場の若い労働者と小麦粉農家の娘の儚い恋物語ーー
<完>