九九ブログ

ランダムに組み合わせた二つの言葉をテーマに、四苦八苦しながら文字を綴る大学生たちのリレーブログです。ルールは以下参照→http://moco-grgrblog.hatenablog.com/entry/info

端切れ×割と可愛くない犬

みなさん、こんばんは。

巷でまっしゅと呼ばれているものです。

現在絶賛顔面蒼白自業自得デスマーチ敢行中(訳:卒論無理)でございます。

そんな中ドキドキ☆ワクワクなブログの順番が回ってきてしまった私の心中をお察しいただきたいものです。誰か殺してくれ!!!

 

さーて今回のお題は!

 

 

 

【端切れ×割と可愛くない犬】

 

 

 

 

 

 

クソが!!!!!!

いやもう今ね、余裕ないねん!!

こんな安直な暴言を書きしたためるほどには勘弁してほしいですね!

九九ブログって名前になった時から「いつか苦々ブログとか思いそう~w」って考えてたんですけど今ですね、一回目にして苦虫を噛み潰したまま飲みこめず反芻し続けてますね、ええ。

しょっぱなから御見苦しいキレ芸をみせてしまってすみません。

以下から本編やから!堪忍な!!

 

 

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さて本編とは言ったものの、この自由すぎるキーワードたちをどう料理してくれようか。

 ここで伝説の禁じ手:「メタファー」のカードを切らせていただこう!

 

メタファーμεταφορά「metaphorá」metaphoráMetaphermetaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。つまり、「~のようだ」のような形式だけであからさまに比喩とわかる比喩(=simile 直喩、明喩)ではないもののことである。

wikipediaより)

 

うん、要するに暗喩のことだね!

メタファーって言いたかっただけ感は否めません。

 

私が文学部で4年間培ってきたものとして、メタファーなるものを意識することくらいはあげられるのではないでしょうか。

文章、とりわけフィクションの中に無為な言葉は存在しないと喰ってかかっていくこと、そういうことをしてきました。

そうするとどんな言葉にも、表現にも、何かしらの想いがあるものなんです。

そうそれが、たとえ【端切れ】や【割と可愛くない犬】であったとしても。

…【端切れ】や【割と可愛くない犬】であったとしても。

 

たとえば。

私なら彼らにこういう背景を負わせてみたい。

 

【端切れ】

端切れ、はぎれ、というのは広義には何かの切れ端を指すらしいのですが、一般的には布の切れ端という認識が強いでしょうか。

私もこの単語を聞いた時にまず浮かんだのが、手芸屋さんの一角の、チープでカラフルな端切れコーナーでした。あの一角には宝探しのそれに近い夢がありますよね。

 

 

その小ささゆえ大それたものは作れないけれど、工夫次第でお得に何かいいものが作れる。

そんな端切れの存在に私は「献身」「いじらしさ」「まっすぐなもの」を感じます。

端切れというからには何かの切れ端なわけで、すでに大きな布から裁断された残り物なわけで。

それでもその身を最後まで役立てようとする「献身」や「いじらしさ」を感じませんか。

そのひたむきさに「まっすぐなもの」を感じませんか。

人の視点ではなく、端切れの視点に立った時、私はそう感じるのです。

そして私はそうはなれないな、という負い目もなぜか感じてしまうのです。

この感じ、思い当たるものが二つありました。

一つは宮沢健二の雨ニモマケズ

 

雨ニモマケズ宮澤賢治

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

 

そう、この感じ!

“イツモシヅカニワラツテヰル”を【端切れ】という単語から感ぜられるのですよ。

この詩の清々しい力強さと、一抹の負い目のようなもの。

この負い目のようなもの、というのは感じる人も感じない人もいると思います。

私は前者の人間なのですが、ではこの負い目のようなものとは?

その鍵は二つ目の思い当たりにある気がします。

 

二つ目は、太宰治の「女生徒」という作品です。

この作品はすごく雑に説明してしまうと、ある一人の少女が朝起きてから夜眠るまでを色々考えながら過ごすという作品です。私めっちゃ好きなんです、もういい年なのに。

作品の中で、主人公の少女が軍人の生活を羨ましいと語る場面があります。それはなぜか?

 

将校さんだって、そんなに素晴らしい生活内容などは、期待できないけれど、でも、毎日毎日、厳酷に無駄なく起居するその規律がうらやましい。いつも身が、ちゃんちゃんと決っているのだから、気持の上から楽なことだろうと思う。私みたいに、何もしたくなければ、いっそ何もしなくてすむのだし、どんな悪いことでもできる状態に置かれているのだし、また、勉強しようと思えば、無限といっていいくらいに勉強の時間があるのだし、慾を言ったら、よほどの望みでもかなえてもらえるような気がするし、ここからここまでという努力の限界を与えられたら、どんなに気持が助かるかわからない。うんと固くしばってくれると、かえって有難いのだ。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

 

この感じです!!!!

これで終わっていい?だめ??笑

 

 はい、このね、すべきことが定められていてそこに向かって頑張っている感じ。

ひたすらそこへ努力していればよい、という感じ。

それが【端切れ】にはあると思うのですよ。

自由の身でありながら、「うんと固くしばって」ほしいと思ってしまうこの感覚はあまり健康的ではないかもしれませんね。ここへの言及は今日はしません。

 

先述した負い目とは少しずれてしまった気もするのですが、とにかく私は【端切れ】という単語へややもすると羨望すら覚えてしまったのです。

これらを全部ひっくるめて、私なら【端切れ】には「献身」「いじらしさ」「まっすぐなもの」というメタファーを込めるなぁというお話です。帰結帰結。

 

ここで全体的な結論はひとまずおいておいて、もう一つのワードにいきましょう。

 

 

 

 

【割と可愛くない犬】

(ほんとになんだよこのワードは)

 

可愛くない犬、という単語に絞ってみれば、なんて悲劇的な単語なんだろうと思ってしまいます。

細かいことは置いておいて、乱暴に言ってしまえば犬という存在は人間の愛玩物です。

つまり犬とは可愛くあるべきです。

ペットの中でもとりわけ犬はその度合いが強いんじゃないでしょうか。

たとえばこれが「可愛くない猫」だったらまた違ってきたと思うのですよ。

可愛くない猫、いいじゃないですか猫らしくて。

猫はツンとしていても許されるタイプの愛玩物ですからね。

(この場合の可愛いは容姿なのか性格なのか?!論争は勘弁してください)

 

でも犬はダメ。犬は心身共に可愛げが求められるのです。

だから可愛くない犬、という単語からは【期待に応えられないもの】【不要なもの】というメタファーを与えたくなってしまいます。

たとえば、バイトで失敗して凹んでいる青年の前に可愛くない犬を登場させてみましょう。

可愛くない犬が息も絶え絶えでじっとこちらを見つめてきたら、憐憫とともにぞっとした恐ろしさに青年は襲われることでしょう。

それは可愛くない犬が【期待に応えられないもの】【不要なもの】というメタファーを与えられ、青年に重ね合わされたからです。

しかし反対に青年の前に現れた可愛くない犬がそれでも逞しく餌を漁っていたら、青年はなんだか頑張ろう、と思えるかもしれません。

メタファーってそういうものですよね。

 

しかしこの【期待に応えられないもの】【不要なもの】というのは、しょせん人間の価値観で図ったものにすぎないというところがこの可愛くない犬のミソです。

(長くなるので割愛!ほんとはもっとここぐちぐち書きたいことあるがもたない私が)

 

 

そしてそして、今回のワードは割と可愛くない犬】だということを忘れてはいけません。

さっきまでグダグダと可愛くない犬の悲劇性を述べてきましたが、この割とという副詞(かな^^?)によってすべて覆されます。

わりと、って書き言葉ではあまり使いませんよね。話し言葉、それもけっこう砕けたもの言いですよね。

つまりこの割と可愛くない犬】というのは、軽い会話の中で使用される言葉であるということが言えます。

ここにおいて、この割と可愛くない犬】の使用シーンを考えると、どうしても身内のペット自慢にしか聞こえないという結論に至るのですよ…!

 

「うちの犬別にそんなたいしたことないよ~わりと可愛くないしさァ~」

 

みたいな!みたいな!

あれやろ、どうせあんま可愛くないと認めた上でそれでも私たちにとっては大切なわんこですENDやろ???!!!This is LOVEやろ???!!

 

ということがね、この砕けきった「割と」によってもたらされるんですよ!

どうせこの単語はペットを飼ってるO田あたりが実家の犬のこと考えながら放り込んだんだろうと思いますね。

 

 

というわけで!

【割と可愛くない犬】のメタファーは【世間一般では不必要でも愛さえあれば価値観なんて】です!!!!!!!!!なんだこれ!!!

 

いやでもこれ大事。

あと言葉がひとつ加わるだけでガラッと意味合いが変わってくるというのはやはり面白いですよね。

 

 

 

 

さてさて、掛け合わされるべき二つの単語のメタファーを考えるところまではきたのですが。

私としては言いたいことの8割は言い終えたので満足しています。

本当はここからじゃあ【端切れ】と【割と可愛くない犬】を使ってなんかフィクション作ろうか~って思ってたんですけど(大体話も考えてた)、それをするとヤノイズムとは違った方向にエモくなりそうなのと、もうほんと精神力持たなくなってきたのでいいかなって思いました。まる。

 

というか現時点で4000字に届こうとしてるよ?!これ読んでくれてる人いるのかな??って感じなので締めます。お疲れ様です。

この尻切れトンボ感、私の卒論のメタファーかよって感じですよね。

てかその4000字をよこせ。卒論に。

 

メタファーメタファー言い過ぎて気持ち悪くなってきたんですけど、こういうことを考えるのはやっぱり楽しかったです。

ただ専門でやってる系の人には見られたくないですねこれ。恥ずかしいので。

 

 

 

さてさて、では次回予告といきましょうか!

次回はお待ちかねみんなのマドンナだ~~!

テーマは…

 

 

【青春×部屋】

 

 

神様はいると思いましたね。えぇ。

神の見えざる手によってイロモノとその他に振り分けられていると言わざるをえません。

次回はドキドキ甘酸っぱいアオハルがくるのか~~~?!

こうご期待!